MESSAGE

代表者について

History

毎日と代表の歩み

日活の仕事をしてハイカラだった曽祖父が敗戦により米兵に射殺され、東京から疎開を余儀なくされた祖父が瀬戸の地に戻されたのは中学生のときでありました。里では農業を営んでおり、商売とは無縁であったそうです。祖父は結婚して3人の娘に恵まれましたが、男子に恵まれませんでした。家を継なぐために、末っ子の母が中堅ゼネコンに勤めていた父(現会長)と見合い結婚し、昭和48年に婿養子に迎えました。

父は、翌年に長女が生まれると同時に、一念発起し、ゼネコンを退社して瀬戸の地で何か商売を始めようと思い立ち、昭和50年に毎日牛乳販売店として創業しました。その翌年に私が誕生しました。藤原家において男子の誕生は大変喜ばれたと言うことです。当時は、父と母が開拓した1000件以上もの顧客を親戚にも手伝ってもらいながら、町の牛乳宅配店として商売繁盛していました。早朝2時くらいから配達する父が、朝方に仮眠をとっている姿を目にすることがありました。

また、敷地内に新築した店舗にて、祖父母が、手打ちうどん屋「毎日うどん」をオープンしました。当時では少なかった外食店として、また地域の拠り所として食を提供していました。小さい頃、ガラス張りで手打ちする祖父の技に見とれていたもんです。また、母は、自宅の空き部屋3部屋を使って、「毎日音楽教室」を運営していました。当時は100名を超える生徒が、毎日絶え間なく習いに来ていて、家では四六時中ポロンポロンと音がしていました。

昭和59年、有限会社毎日として創立。現在の主力事業となる、清涼飲料水自動販売機事業を本格的に開始。同じ頃、イズミ平島店にテナントとして、銘茶とコーヒー専門店「清喜園」をオープン。後に、イズミ邑久店、イズミ高橋店にオープン。同じ頃、町内のパチンコ店の敷地内で祖父母が大衆ラーメン食堂「キング食堂」をオープン(毎日うどん店は閉店)。平成17年に県道拡張により立ち退きを余儀なくされ、現所在地の瀬戸町肩背に移転。平成23年、藤原丈士が社長に就任。社長の藤原清志は会長に就任。同年に置き菓子&ドリンクの毎日マート事業を開始する。平成27職場への乳製品宅配事業を開始、現在に至る。

Message

想い

有限会社毎日のホームページにようこそ!代表取締役の藤原です。1975年から歩みをスタートした当社のバトンを受け取って数年が経ちました。まだまだ駆け出しですが、歩みを止めることなく一歩ずつ精進して参ります。

当社の目的と存在意義について

当社の経営理念は、「全従業員の物心両面の幸福を追求すると共に、地域社会の進歩発展に貢献する」です。つまり、当社は事業を通して地域社会に貢献し続けることを目的としています。またその事を自分達の喜びや働き甲斐とし、社会から必要とされる存在となり、その結果、全従業員の幸福が満たされることを究極の目的としています。

いかにお役に立てるか

[自動販売機事業]

当社の事業の一つに、飲料水自動販売機の管理があります。自販機は、会社、お店、学校、病院、道べりなど、あらゆる所に当たり前の様に設置されています。喉が乾いた時に、休憩の時に・・・、そこでは時に、人と人とのコミュニケーションが生まれる場となり、私たちの生活に溶け込んでいます。普段は気付かないものですが、平成30年夏に発生した西日本豪雨災害では、当社が管理する自販機もたくさん水没し故障しました。その時に、自販機が社会でどれ程役に立っているかと言うことに改めて気付かされました。また当社は、地域社会に貢献すると言う目的を体現する為、独自の取り組みとして、社会貢献型自動販売機を設置展開しています。

  1. 1. 岡山市オレンジリボンキャンペーン実行委員会支援自動販売機(子ども虐待防止啓発活動)
  2. 2. ピンクリボン運動支援自動販売機(乳がん早期発見啓発活動)
  3. 3. 盲導犬育成支援自動販売機(盲導犬を育成する費用援助活動)
  4. 4. 学校や地域イベント・会議等での、飲料水のケータリングサービス

[毎日マート事業]

当社の事業の2つ目に、あらゆる職場のオフィス内に冷蔵庫や商品棚を無料レンタルし、お菓子・パン・カップ麺・飲料水を陳列し無人販売する「毎日マート」サービスがあります。このサービスは、職場環境をより快適にしたいと言う企業様の想いに応えたいと始まったサービスです。新規に設置した際に、〝職場内に小さなコンビニがやって来た〝と笑顔で喜んでもらえる瞬間が、私たちの最高の喜びの瞬間でもあります。職場の福利厚生に、また災害時の備蓄食料として、当サービスがお役に立てれば幸いです。

[乳製品宅配事業]

当社の事業の3つ目に、1975年創業から続いています、乳製品宅配事業があります。当社(有限会社毎日)の名前の由来は、お客様の健康を願って〝毎日〝配達させて頂きます!と言う所から来ています。この精神は大切にし、現在では、展開している自販機や毎日マートの顧客に向けて、毎日の健康づくりにお役立て頂ける商品を職場まで、手渡しでお届けするサービスを展開しています。

当社のご提供するサービスが、多くの人にとって、より身近で便利で健康的で、
また人と人との触れ合いが生まれるものとなれば、これほど幸いなことはありません。
その為に、有限会社毎日は、これからも毎日を明るく楽しく生き生きと、
努力して参ります。

Profile

プロフィール

氏名
藤原 丈士(ふじわらたけし)
出生
1976年9月
趣味
ソフトテニス
家族
妻(1人)、子(3人)
続けていること
横断歩道での登校見守り
座右の銘
利他の心で子孫繁栄
経歴
  • 1995年3月 岡山県立瀬戸高等学校卒業
  • 1996年4月 有限会社毎日 入社
  • 1997年4月 瀬戸町消防団 入団
  • 2000年11月 結婚
  • 2008年1月 盛和塾岡山 入塾
  • 2011年4月 江西小学校PTA会長
    瀬戸町合併特例区委員
  • 2012年4月 同社 代表取締役 就任
    赤磐署管内警察協助員 着任
    こうさい父親会設立
  • 2013年12月 岡山市民生委員・児童委員(主任児童委員)着任
  • 2018年1月 岡山県中小企業家同友会 入会
Background

私の生い立ちについて

私は物心ついた頃から家族総出で商売をする姿を見て育ちました。
家族団らんで夕ごはん、などと言う光景は無かったものの、
両親や祖父母が一生懸命に働く姿からは、僕もいつか大きくなったら
お父さんの後を継いで商売するんだろうなと、どこかで思っていました。

小学5年生の時に、江西小学校創立100周年を記念して、
タイムカプセルを埋めました。

20年後、私が31歳の時にそれが掘り起こされたと言うお知らせが届き、
小学校へメッセージを受け取りに行きました。

もちろん当時、何を書いたか憶えているはずもありませんでしたが、
そこには…「ぼくは、しょうらいお父さんのあとをついで
いっしょうけんめいがんばってお金をかせごうとおもいます。」
と汚い字で(今も汚いですが)書かれていました。

どうやら、テーマは「将来の夢」だった様です。

周りの大人たちから、「後取り」と言われ続けて来たので、
将来やらなければならない使命として当時からその様な想いがあったように憶えています。

そんな私は、地元の瀬戸中学校で人生の運命的な出会い(妻と同じクラス)があったり、
伝統ある瀬中ソフトテニス部キャプテンを経験しました。

顧問のささの先生には、たくさん指導(生活態度を叱られ)して頂き、
その当時の指導が、今でも精神面で大いに役に立っています。

そして岡山県立瀬戸高校を卒業し、1年間滋賀県の伯母の家に居候しながら京都の予備校に通い、
表向きは大学進学を目指していましたが、実際は、京都の街を寺巡りをしながら
ハトにエサを与える日々を過ごしていました。

この頃は、人生について何のために生きるのか迷っていました。

そして、仕送りのお金でパチンコしたり、「餃子の王将」に通いまくり、
1年で15キロの体重増を達成し85kgに到達し、2歳上の姉には「山下清になっとる」と言われる始末。
その後、受験をすることなくニートになりそうなところで、「もう毎日で働かせてくれ」と
母親に泣きを入れ、有限会社毎日に入社しました。

は~、情けなや~、情けなや~。

その頃、幼いころから目をかけてもらっていた祖母がガンで倒れました。
祖母は、朝の4時過ぎには起きて、家事をして、
パチンコ店の駐車場にあった大衆食堂で夜中まで仕事していました。

合間では仲人さんとして、数々の結婚を手がけていました。
婿養子だった父と祖父との間でゴタゴタがある時も、
体を張って必死で家族円満を守ろうとする姿をよく目にしていました。

私は、何故そこまでして、身を粉にして働くのか、不思議でなりませんでした。
そして、ガンと分かった時は既に末期で、余命が1年と言うことでした。

祖母が大好きだった私は、最後の2ヶ月間、入院先の病院に
寝泊まりしながら仕事に通い、祖母に付き添いました。

何故なら、どうしてそこまで身を粉にして生きて来たのか、
その訳を祖母から聞きたかったからです。

戦時中の話、世間の話、会社の話など、いっぱいいっぱい話を聞きました。
そして、亡くなる数日前に、祖母が天井を見つめて一言いいました。

「毎日を盛り立てて頑張られぇ」

この言葉を聞いた瞬間、何か凄く大きなものを受け取ったと感じ、言葉にもならずただ頷きました。

数日後、祖母は雪がしんしんと降る深夜に静かに息を引き取りました。
家族、親族は、葬儀の時に皆、涙を流し悲しんでいましたが、
私は不思議なことに、爽やかな気分というか、凄く爽快な気分でいました。

何故このように感じるのかと考えてみたら、
それは、これから歩む人生の中で、どう生きる事が大切なのか、人は何のために生きるのか、
その答えを、死ぬ間際の祖母から受け取ったからなのではないかと思いました。

人は、次の世代のために今を一生懸命に生きること、
子や孫が困難にぶちあたってくじけそうな時に、乗り切れるだけの大切なものを伝えること。

私はその時から、人生で大切なものに気付くことが出来たのではないかと思っています。
バトンは、あの時、あの言葉により確かに受け取りました。

私も祖母の様に、その生き様により、
次世代に大切なものを伝えられる生き方をしたいと思っています。
そして、創業から今日まで、日々のたゆまぬ努力により、当社を築き上げて来た父(会長)に
最大の感謝と敬意を持って、これからも〝毎日を盛り立てて頑張り〟ます!

つたない話しを最後まで見てくださって、ありがとうございました!
今後とも宜しくお願いいたします!